2011年9月19日月曜日

「嫉妬心の意味するもの」


今日は
ある友人の奥さんから
こんなメールが
届きました。

「いつも
メルマガ拝見しています。
メルマガを見るたび
自分自身を見つめる
きっかけになり
大分、考え方も
変わってきたと
思います。



これも
アーカ・メロディさんの
お陰と感謝しています。
しかし、
どうしても
抜けきれない思いが
自分の中を
支配します。
私は、
嫉妬心の塊です。
前の奥さんのことを
思うだけで
どうしようもない
嫌な気持ちが
湧き上がってくるのです。
そんな私は
嫌いなのに、
止められないのです。
アーカさん
つまらない話で
申し訳ありません。
スルーしてください」
というメールでした。

メルマガとは
このブログ以外に
6年くらい前から
親しい友人に
心に残った言葉とか
自分の思いを
書き留めていたものを
携帯やPCに
送っているのですが、
そのことを
指しています。

この方は
友人と4年ほど
付き合って
この程
籍を入れました。

友人の
前の奥さんは
まだ、
友人との間に
子供の養育費とか
生活費の面で
折り合いが
ついておらず
度々
友人の下へ
携帯やメールが
来るそうです。

そのことについて
度々
友人と今の奥さんの
間で
口喧嘩が
始まるのだそうです。

友人の奥さんの場合
いわゆる
“やきもち”の
感情でしょうが、
嫉妬心と言っても
人に対して
軽く
“うらやましい”と
感じるものから
“ねたみ”から
“うらみ”“つらみ”に
至るまで
様々な感情が
あります。

新聞紙上や
ニュースで
男女の痴情の
もつれだとか
親子間の
或いは
兄弟間に
おける
財産分与に
おける事件とか
殺人にまで
至る報道は
後を絶ちません。

それ程
この嫉妬心の
問題は
本人にとっては
やっかいなもの
だと思います。

この友人の
奥さんの
場合のように
自分を見つめる中で
克服できない
嫉妬心に
悩んでいる
そんな
自分が嫌いであると
書かれているので
ある意味では
冷静な心を
取り戻しつつ
あるのではないかと
思います。

嫉妬心は
どうして
発生するのか

解っているのは
相手がなければ
発生しないことが
解ります。

嫉妬心を
持っているとき
誰もが
陽気で
楽しい状態では
ないことも
解ります。

ということは
陰な状態にあり
マイナス波動に
陥っています。
この状態に
ある時
次から次へと
嫉妬の感情は
湧き上がってきます。
これは強烈な
ものです。

この嫉妬という
感情の正体を
知るには
まず、
対象の相手から
離れて

自分の中の
どんな考え方が
この感情を
創り出したのかを
見つめていくのです。

そうしていくと
今、嫉妬している
感情が
自分の限定された
価値観に
基づいて
判断をしているに
過ぎないことが
発見できます。

その限定された
価値観は
あなたが記憶した
情報に
基づいています。

その情報を
上書き修正
すればいいのです。
そうすれば
起きてくる
感情も変わります。

変わるものに
本質的なことは
ひとつも
ないのですから
変えればいいことです。

大体
起こってくる
出来事に
良いも悪いも
ないのです。

自分の限定された
価値観で
判断をした
自分にとって
良い出来事
自分にとって
悪い出来事に
過ぎないのです。

ある意味では
これらの
出来事によって
自らに
起こってくる
感情というものを
知るきっかけに
なっています。

自分は
どんな
判断基準を
持っていて
いかに
その価値観という
モノサシに
翻弄されていたかを
知らされることに
なります。

その価値観は
自我による
価値観です。

自我は
分離を生みます。

自と他を
区別します。

自我は偽我です。
対立を生みます。

自我は
他の人や環境を
通じて
自らの
ニセモノの自分の
部分を
本物と
信じ込ませる
働きがあります。
負のエネルギーです。

嫉妬心の
“ねたみ”の感情は
自分が関心の
ないものに
向かうことは
ありません。

その中において
比較という
概念において
“うらやましい”と
いう感情が
起こり
自分の不足している
部分に
焦点を
合わせていきます。

そして
自分をどんどん
ダメな人間に
陥れていきます。

その
どうしようもない
感情が
他の人や環境に
強烈に向かって
いるのです。
これが
自我による
嫉妬心の
メカニズムです。

私たちが
人や環境に
関心や興味を
持つことは
とても
すばらしい事です。

「あの人の
ようになりたい!」とか

「あのようで
ありたい!」とか

素晴らしい
対象を見て
そう思うことは

自分の内に在る
真我を
見つめているから
気づくものです。

自らの
内にある
本質の
優しさ
慈しみ
美しさ
麗しさ等々
光り輝き
照らすところの
愛の念いに
反応して
湧き出るのです。

前にも
書きました
不足しているものを
いくら
積み上げても
何にも成らないことを

今、そのままで
満たされていることの
何と多いことか

私たちは
「今、そのままで
満たされているのです!」

『今日は残りの人生の最初の日』

自我は偽我です。
真我は神我です。
神の我
神の子には
何の不足もないのです。
元々
神の遺伝子を有する
ものです。
この物質界で得た
限定された価値観を
手放し
神の価値観を
上書きしましょう。
それが本来の
自分なのです。

ありがとうございます。

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