2011年9月21日水曜日

“時間は無限にある”


実は
私は
女房の入院した
参照1)(参照2
参照3)(参照4
翌日に(9月10日)
自宅の階段を
踏み外し
頭と腰を強打して
しまいました。







頭は
2~3日で
痛さは
治まりましたが
尾てい骨から
腰は
いまだに
座ったり
立ったりする時に
痛みます。

歩行にも
困難をきたし
所要や
女房の病院には
車を使って
移動しています。

その上に
寝ているときに
足が攣り
強烈な痛みを
感じ
起きて
処置をして
又、寝たのですが
朝起きてみたら
攣った箇所が
痛くて
歩くと痛みが
襲ってきます。
びっこを引きながら
歩いています。

いつも
車での移動を
していたので
運動不足で
足が
攣ったのかなと
思っています。

何れにせよ
何をやるにしても
時間がかかります。
不自由という
自由を
味わっています。

まず
「階段から
なぜ
落ちたのかなあ!」と
思いました。

その日は
女房が入院した
ばかりなので
病院に持って
いくものや
いろいろな
些事を行って
いました。

既にお昼を
廻っていて
早く病院に
行かなければという
思いがよぎりました。

その時
スリッパが滑り
そのまま
階段の6段目
くらいから
下まで落下したと
言う訳です。

別に
何時にと
約束をしている
訳ではありません。

それなのに
勝手に
焦る気持ちが
出てきて
急がなければと
いう思いが
あったことは
事実です。

それが
原因で
いまだに
痛さが抜けず
今日までの
結果に
結びついて
いきます。

いやいや
強がりでも
何でもなく
不自由を
味わいながら
普通に歩けると
いうことは
こんなに自由で
あったのかと
この痛みを
かみしめています。

また
改めて
与えられて
いることの
多さに
気がつきました。

肉体の傷や
痛みは
いずれ癒えます。
腰も
最初の痛みとは
明らかに
変わってきました。
それは
尾てい骨が
あまりに
痛いので
感じます。
最初は
腰が痛いと
感じていました。

私たちは
日常的には
人と自由に
話すこともできます。
それなのに
その財産に
気づかず
閉じこもり
人と話をすることを
拒否している人も
います。

愛の言葉も
この口から
たくさん
語られてきました。
それなのに
人を
罵り
非難するために
使う人もいます。

私たちは
日常的には
すばらしい景色や
美しいものを
自由に
見ることもできます。
それなのに
その財産に
気づかず
闇を見て
目を閉ざす人もいます。

何でも
自由につかめる手
ご飯を食べたり
握手をしたり
肩を組んだり
髪や頬を撫でたり
できます。
それなのに
人を傷付け
何かを奪うために
利用する人もいます。

手は
あらゆる
絵画や彫刻や
音楽なども
創ってきました。

私たちの足は
どんな場所にも
自由に
行くことができます。
日本の隅々まで
世界の果てまでも
夢を追いかけて
それなのに
愛から逃避する
ために使う人も
います。

このように
数え上げたら
キリがないくらい
多くのものを
与えられています。

痛みにより
感じるものも
たくさんあります。

痛みの効用は
人の痛みが
わかります。

痛みに
手を当て
さすってもらうと
人の
あたたかさを
感じます。

痛みを
日々感じていると
自分には
自然治癒力という
偉大な力が
備わっていることを
感じます。

また
今回の
この痛みは
私の中にある
焦りの気持ちが
原因で
階段から
落ちた
結果として
生じました。
その連鎖で
腰をかばい
車利用等で
足の筋肉を
弱らせてしまい
足が攣り
さらに
痛みを
増幅させました。

焦る気持ちは
禁物です。
という教訓です。

皆さんも
経験があると
思います。

人との約束で
待ち合わせを
しています。

まじめであれば
あるほど
「時間に遅れては
いけない!」という
刷り込みが
あります。

駅に着きました。
事故により
不通に
なっていました。
いつ復旧するか
わかりません。

皆さんは
焦って
並んでいる
タクシーの列に
並びます。

やっとの
思いで
タクシーに
乗り込みます。

道は混んでいます。
運転手さんに
状況を説明して
一時までに
どこそこに
行かなければ
ならない
「何とかならないか!」と
催促をします。

その間
四六時中
「右車線の方が
早かったのに!」とか
「もっとスピードを
出せばいいのに!」とか
状況をコントロール
し始めます。

一見
当たり前の
光景に
感じます。

しかし
ちょっと
待ってください。
その段階では
遅刻をした訳では
ありません。
焦りの気持ちは
起きていない
現実という
空想の中で
喘いでいることに
気づきます。

「遅刻をしては
いけない!」に
焦点を
合わせ続けています。

従って
この場合
遅刻を
引き寄せるように
なります。

遅刻に意識を
凝集して
「時間がない!」と
思った瞬間から
遅刻を
どんどん
引き寄せて
いくことに
なります。

私の場合は
何時という
約束を
していないのにも
かかわらず
いつも
何時ごろ
行っているから
「待っているだろう!」と
思った瞬間
階段から
落下して
痛い思いを
した挙句
結局、
何時間も
遅れてしまいました。

人間の
思念の力とは
すごいものです。
「時間がない!」と
思ったことが
実際に
時間を縮めていく
結果を
呼び込んで
しまうのですから。

焦る気持ちは
禁物です。
時間は
たっぷりと
あります。
だって
真実は
時間は
無限にある
訳ですから。
「遅れてはいけない!」
と思わずに
遅れてから
考えれば
いいのです。

そうすれば
遅れないのです。
体験してみてください。

私の
一時の
昔の心の
習慣性が
つい
出てしまいました。
その結果
思った通りに
なりました。
しかも
痛みという
おまけもついて

これも
たまには
いいかも知れません。

「時間は無限にある!
遅刻は
遅刻してから
考えればいい!」
と考えてみてください!
本当に
間に合いますよ!

「今日は残りの人生の最初の日」

今から
大事な待ち合わせが
あります。
時間は無限にあります。
行ってきます。

ありがとうございます。

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