今回の
女房の入院で
改めて
感じたことが
あります。
このことは
入院する度毎に
感じていましたが、
医療現場における
お医者さんや
看護師さん達の
献身的な応対です。
朝から夜遅くまで
休む間も無い位
忙しく
立ち回っています。
それにも拘らず
どんなことにも
親切に笑顔で
対応してくれます。
本当に
頭が下がります。
心よりの
感謝をしたいと
思います。
私たちの周囲にも
ボランティア団体に
参加していたり
高度障害者に
積極的に
お世話したり
決まって
地域の道路や
公園の
草むしり等を
しておられる方を
見受けます。
意識的にかどうかは
別にして
私たちが
本来持っている
自己の本質を
現わしています。
私たち人間には
人や社会に対して
何か役に立ちたい!
人に優しくしたい!
という根源的な
欲求が元々
あるからだと
思います。
私たち夫婦も
そんな
優しい人たちの
恩恵を
いつも受けています。
私の家の
近所の方たちです。
女房の病気も
もう8年余りに
なりますので
近所でも
肉親のように
心配を
してくれています。
入院中は
特に
私も毎日
病院に行って
いつも遅く
帰るものですから
家の猫ちゃん達は
留守の間
近所の猫好きの
お宅に行って
ちゃっかり
ご飯を頂いたり
遊んでもらったり
しています。
たまには
お泊りも
しています。
また、町内の
決まりごとで
ごみ集荷場所の
清掃当番とか
いろいろ
ある筈なのですが
(以前は当番が
廻っていました)
誰かが
やってくれて
いるようです。
女房が
家に居るときでも
食欲がないと
聞いては
「これだったら
食べられるのじゃないか?」
と、
やわらかい物や
おかずを作って
持ってきてくれたり
常に、
声をかけたりして
いただいています。
又、近所の
美容室の方は
女房が
買い物に
出れないし、
外にあまり
出ないので
女性の
たしなみを
忘れることの
ないようにと
化粧クリームだとか
ローションや
口紅や
ヘアー関係の商品や
塗るためのブラシや
はけ等々
いろいろなものを
たくさん
持ってきて
くれます。
メーカーから
サンプルで
新製品が
届くのだそうです。
お蔭様で
女房は
一番新しい成分の
入った
綺麗になれる
化粧品の
セットを
使わせて
もらっています。
この心遣いに
対して
本当に
感謝の思いで
一杯です。
「いつも、
思いを届けてくれて
本当に
ありがとうございます」
このように
病院の
先生や
看護師さん
近所の方々に
しましても
まるで
自分のことのように
行動して
下さいます。
何の見返りを
求めるでもなく
純粋な動機によって
しているからだと
感じます。
「ただ、そうしたいから
そうする!」
「してあげたい!」
という気持ちが
受ける側の
気持ちも
素直に
させてくれます。
内なる本源から
湧き上がってくる
純粋動機は
する側も
される側も
共に喜びを
もたらし
自他の一体を
感じれる瞬間と
なります。
今、女房は
病院でも
毎日、毎日
点滴が
外れている時には
千羽鶴を
折っています。
女房は
昔から
紙が好きで
細かい物を
創ったりするのが
上手です。
ただ、
転んで
右手中指を
骨折してからは
指が曲がって
しまったので
やりにくそうでは
ありますが
それでも
少し時間は
かかりますが、
千羽鶴を
折っています。
東日本大震災において
津波で
亡くなられた
子供さんたちのために
宮城県の
ある
ステンドグラス工房の
主宰の女性の方が
千羽鶴を
折ってくれる方を
全国に
公募していると
知って
一生懸命
創っているのです。
もう3000羽ほど
送らせて
いただきました。
自分が好きで
創っているものを
喜んで
受け取ってくれて
いる方たちがいる
役に立って
くれている
女房は
「本当にありがたいね!」
と言っています。
今は、純粋に
共有しあっています。
女房は
今から20年程前に
なると思います。
目の見えない方たちへ
点字で本を作る
ボランティアを
していました。
人のために
役に立ちたいと
思ってのことです。
5~6年ほど
続いたと思います。
点字は
小さい
ドライバーの先が
釘みたいな道具
(名称を知らないので
ごめんなさい!)で
特殊な紙に
打つのですが
1年位したら
パソコンで
打てるようなソフトが
できて
パソコンで
打つように
なりました。
女房は
たまたま
打つのが早く
(ミスは多いのですが(笑))
そのボランティアの
依頼が早めに
終わるので
個人的に
いろいろな種類の
本や雑誌を
頼まれては
打って
あげていました。
しかし
それが
知れ渡ってくると
「この本も
やってもらいたい!
この本も」と
依頼が殺到します。
だんだん限界を
超えて来て
女房も
イライラし始めます。
それに加えて
ただ、
文章だけでなく
絵やイラストも
「どんなイメージか
知りたいので
説明をしてください」とか
要望も増えてきます。
今、思えば
ボランティアの方たちに
よくある
展開なのですが
女房本人も
そのパターンに
嵌っていきました。
よいことをしたい!
役に立ちたい!と
思いつつ
それまでの
“楽しい”から
“苦しい”の
重荷に変わっていく
瞬間を
迎えるように
なってきます。
そうなってくると
女房は
愚痴を
こぼすように
なってきます。
最終的には
「辞めたい!」と
なってきます。
私も私で
「自分が好きで
やったことなんだから
愚痴は言うんじゃない!」と
言うばかり。
つい口げんかに
なっていました。
それでも
それから
何年間も
頑張って
続けていましたが
ついぞ
点字の
ボランティアは
辞めてしまいました。
“人のためになりたい!”
“社会のためになりたい!”
そして
目が
見えない方たち
のために
読みたいものを
読めるように
点字で打って
あげたい。
このことは
とても素晴らしい
動機による
価値観だと思います。
その中で
自分にとって
よい体験による
喜びや嬉しさと
自分にとって
よくない体験による
重荷や苦しさを
味わいます。
実は
この両極にある
体験を通じて
人は学ぶのでは
ないでしょうか。
女房が
この点字の
ボランティアを
始めるとき
このよくない体験を
するとは
露ほども
思ってなかったと
思います。
多分
嬉しさや
喜びだけを
期待していたと
思います。
病院の
先生や
看護師さんも
多分
この両極を
体験したのだと
思います。
病院の先生や
看護師さんも
ほとんどの方が
“人の病を治したい!”
“人のお世話がしたい!”
と思って
今の仕事に
入られたのだと
思います。
しかし、
病人にも
いろいろな方が
おります。
手のかからない人も
いる反面
わがままな人は
多いです。
と言うより
身体が自由が
利かないから
そうなるんだと
思います。
その中で
先生や
看護師さんたちも
何回も
両極のジレンマに
陥ったのでは
ないでしょうか。
一回や二回は
辞めたい!と
思ったことでしょう!
しかし、
いくら判断しようと
思っても
答えがでません。
判断する心は
自我からの
意識だからです。
苦しみ、
葛藤し
悩み
人は気づくのです。
「そうだ!
私は人を助けたいのだ!
病を治したいのだ!
みんなに楽になって
もらいたいのだ!」と
その時
元々の純粋な動機に
思いが至るのだと
思います。
その時
よくない体験は
喪失し
重荷や苦しみは
消えていくしか
ありません。
今の担当の
先生は
8年前から
変わっていません。
看護婦さんは
昔から居る人は
他の病棟への
配置換えか
辞めたかは
わかりませんが
4~5人しか
見ません。
だから
解るのです。
何年かの間に
成長している姿が
以前は苦しい顔を
している時も
ありました。
しかし、
今は
自信に
満ち満ちています。
忙しい中に
余裕すら感じます。
風格もでてきました。
多分、
よい体験しか
していないんだと
思うんです。
『今日は残りの人生の最初の日』
あなたは
今、
もしかすると
両極のうちの
よくない体験を
しているかも
知れません。
でもそれは
元々の本質に
気づくために
現れているのです。
真の自分
真我に到達するまで
もうすぐです。
あと一堀ですよ!
ありがとうございます。
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