2011年9月15日木曜日

「存在そのものの価値」


昨日も
女房は
病院のごはん(お粥)を
朝・昼・晩
全部食べてくれました。

あとは
おかずを
もう少し
食べてくれて
不足している
栄養素を
補ってくれたり



病院で
毎日、
血液検査を
しながら
調合していただける
点滴や薬を
続けていけば

また、
手術が耐えられる
身体に
戻ってくると
思います。

先生も
大変喜んでくれて
私たちも
少しずつでも
確かな恢復を
していることに

病院の先生や
看護師さんに
感謝の心が
湧いてきます。
大変
嬉しいことです。

今回、改めて
私たちの
価値とは
その存在
そのものにある
ということを
再認識しました。

この病気を通して
女房の
体力低下や
体重減少を
食い止めるために

病院に来る
何ヶ月も前から

お互いに
励まし
励まされつつ
ただ、ただ
栄養をつけること

少しでも
食べてもらいたい!
と、毎日
体力恢復を
テーマに
健康に集中して
意識を
向けてきました。

今、
お蔭様で
少しでも
体力が回復して
くると

健康であること
それ自体が
すばらしいと
いうことを
感じさせて
いただきました。

私たちは
健康であるとき
健康は
存在すら
忘れられ
すばらしいとは
感じないできました。

そこに
価値があることを
認めないで
きました。

この健康という
存在の価値は

病気になり
初めて
健康であることの
すばらしさ

健康自体が
喜びであることに
至ります。

私たちは
健康であることは
当たり前
なのではなく

その健康である
ということ
それ自体に

大いなる
感謝を
向けなければ
ならないと
思います。

このように
いつもは
当たり前と
思っている
存在に意識を
向けてみると

ただ、在ること
その
存在そのものの
価値というものに
こころが
至ります。

私は
女房に対して
毎日
ごはんを
食べて欲しい!

少しでも
体力を
つけて欲しい!

そして
歩けるようになって
一緒に近くの
公園に
散歩に行きたい!
と思っています。

もし、
それができたら
私にとっては
この上ない
喜びに
なるでしょう。

それ以上
女房に
もっと
あれもこれも
出来るように
なって欲しいと
思っている訳では
ありません。

女房の存在自体が
価値あるもの
なのですから
その存在以上に
何が必要でしょう。

私たちには
既に
与えられている
多くの
価値ある
存在が
あります。

健康と同じように
気づくことです。

家族や
友人や
ペット達

自然や
今、自分のまわりに
ある万有万物
すべての価値に
気づくことです。

何と
満たされて
いるものの
多きことに
気づかされます。。

そして
自分自身

例え、今
あなたが
どんな
状態であろうが
あなたは
存在しています。

あなたが
存在していること
それ自体に
価値があるのです。

価値の
ない人など
ひとりも
いないのです。

なぜかと言えば
私たちには
一切の
例外が無く
神を有して
いるのですから

私たちは
大いなる存在です。
偉大なる
霊性なのです。

ひとりひとりに
また、
生きとし生けるもの
万有万物
すべてに
一なる本源である
同じ霊性が
備わっています。

私たちは
何かを
成し遂げなければ
価値が無いと
思わされて
きました。

そうでは
ありません。
存在そのものに
価値があるのです。

今、歩くことが
できなければ
それはそれで
いいんです。

手を携えて
歩いて
あげたいという
希望を
叶えてくれる
貴重なる
存在なのですから、

歩けるようになる
という
付加価値は
それはそれで
すばらしいものです。

しかし、
存在以上に
価値のあるものは
ないのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日、この瞬間に
自らの価値に
気づいてください。
初めからあった
偉大なる無限の
存在価値の
大きさに
気づいてください。

あなたは
元々
大いなる自己
なのですから。

「生かしていただいて
ありがとうございます。」

ありがとうございます。

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